hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

<02中学生時代>

0211 高校受験

我々の頃は普通の公立の中学生は塾とかにはあまり行かず、部活中心のテレビっ子の生活だったが、小学生の頃からの流れで、まあそこそこ勉強はできる方だった。当時の広島市内では、公立の五校と呼ばれる普通科高校があり(国泰寺、基町、皆実、舟入、観音)…

0210 淡い思い出

昭和の時代はまだ、小中学生が男女交際をするケースはほとんどまれだったと思う。建前で言えば、生徒手帳にも不純異性交遊は禁ずると書かれていた。せいぜい同性で誰がいいとか打ち明けあったりして、その相手と近づいたりしたら、「ひゅうひゅう~」とはや…

0209 修学旅行の思い出

中学の修学旅行は、京都・奈良方面で、二泊三日だった。まず奈良では、奈良公園、東大寺、法隆寺辺りを廻り、大仏様の大きさに圧倒された。大仏様の鼻の穴と同じ大きさの穴が柱に空いていて、そこを通り抜けることができたら幸せになれる(願い事がかなう?…

0208 ボクシング

小学生のとき少年マガジンに連載されていたあしたのジョーが中学生時代の70年4月から1年半テレビアニメとして放送があり、毎週楽しみに観ていた。その流れでボクシングのタイトルマッチがあるといつも観ていた。当時同時に最大5人の日本人の世界チャン…

0207 ボウリングブーム

中学時代の1970年頃、ボウリングブームとなり、かなりボウリング場に通ったものだ。テレビでは週何番組かレギュラー番組があり、中山律子、須田開代子、石井利枝、並木恵美子などの女子プロボウラーや、男子は矢島プロ、西城プロなんかがいたなあ。当時…

0206 たくろうとの出会い

中3のときのクラスメイトに、フォーク(当時はまだニューミュージックではなくこう言っていた)に詳しい奴がおり、ちょうどたくろうが「結婚しようよ」、「旅の宿」がヒットしてテレビにも出ていたので、広島出身ということもあり、意識するようになった。…

0205 早弁と昼休みのバレーボール

確か中3の年がミュンヘンオリンピックの年で、テレビで男子バレーボールのアニメ「ミュンヘンへの道」が放送されていた。地元専売広島の名セッター猫田を始め、大古、森田、横田などなど名選手が多く、毎週1話完結でエピソードが描かれた。その影響もあっ…

0204 安佐大橋への遠足

小・中学校時代は、1学期、2学期、春と秋には遠足があったと思う。通常は市内の行楽地、たまに施設見学とかに貸切バスでクラスごとに行ったと思うが、中学1年生の時だったか、全くの徒歩だけで、本当の意味の遠足があった。U中学校から太田川の川土手を…

0203 引き続きサッカー部

中学でも全く迷うことなく引き続きサッカー部に入部した。我々の代もそこそこ強かったが、1年先輩の代はさらに強かった。詳しくはよく覚えてないが、とある大会で優勝して一旦中学校の全国大会に行けるはずだったのに、HG中の先生が何か異議を唱えて、全…

0202 Y先生とミスターチープ

毎年クラス替えがあり、私は1年10組、2年11組、3年8組だったと思う。 担任は1年と3年のときは同じ英語のYMN先生、2年のときは自分のことをミスターチープと名乗る英語教師YSI先生だった。 YMN先生は府中町から原付バイクで通勤されていた。眼鏡を…

0201 マンモス校U中学校

先程も触れたように、小学5年生のときに引っ越したが、そのままH小学校に通い続け卒業した。 他の同級生はN中学校に進学したが、私はU中学校に進学した。 時代は昭和40年代の高度成長期、広島市も団地開発が進み、人口が右肩上がりに増え続ける時期で…