hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

0201 マンモス校U中学校

先程も触れたように、小学5年生のときに引っ越したが、そのままH小学校に通い続け卒業した。

他の同級生はN中学校に進学したが、私はU中学校に進学した。

時代は昭和40年代の高度成長期、広島市も団地開発が進み、人口が右肩上がりに増え続ける時期であった。U中学校は市内で1、2を争うマンモス校で、毎年1クラスずつ増えていった。1年生のときは10クラスだったのが、2年のときは11クラス、3年では12クラスとなった。当時はH地区もU中学校学区だったが、私が3年生のときの昭和47年にH中学校ができて分離された(ただし私たちの同級生はそのまま残りU中を卒業した)。

私の家はUM町のF川の土手を渡ったところで、自転車通学がOKの地域だった。地図で見るとちょうど2キロメートルぐらいの距離なので、歩くか自転車で通えるかで、えらい違いだ。川が分岐点でぎりぎりだったので、ラッキーだった。