hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

【47都道府県足跡残し達成計画】

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大学が関東だったこと、職場のサッカー部の遠征で他県に行くことがかなりあったこと、出張で他の政令指定都市等に行くことがあったことなどから、他の都道府県に行く機会が多く、通過のみを含めたら、既に全都道府県制覇している。

通過のみの東北4県(岩手、秋田、山形、福島)と新潟県福井県は老後に旅行で回りたいと思う。通過ばかりだった岐阜県は予定どおりなら今年行ける予定がある。

なお、福井県は大学の北陸旅行で行ったかもしれないと思っていたが、最近になって一緒に行ったメンバーから行ってないと聞き、通過のみに整理することにした。

 

摘要:◎複数回、〇制覇、△通過のみ、サ=サッカー、出=出張、数字は西暦

◎北海道 82サ、91出

 函館市でサッカー大会、札幌市で会議、そのあと道東へ旅

青森県 86サ

 十和田市でサッカー大会

岩手県 86通

宮城県 8X出、86通

 仙台市に出張

秋田県 86サ(十和田湖のみ遊覧船で通過)

山形県 8X出(蔵王のみレンタカーで通過)

福島県 86通 8X出通

茨城県 7Xサ 13出

 大学時代サッカー、つくば市に出張

〇栃木県 74修旅 86通 8X通

 高校の修学旅行で日光等

群馬県 74修旅 78大 79大

 高校の修学旅行で浅間山鬼押出し

    大学時代ゼミの合宿

◎埼玉県 76~80大 9X 出

 大学時代数回、さいたま市に出張2回

◎千葉県 76~80大 8X出 13出通

 大学時代数回、千葉市に出張、東京ディズニーランド

◎東京都 74修旅 76~80大 出多数

 大学時代多数、出張多数

◎神奈川県 74~13通 76~80大 8X出

 大学時代横浜市在住、横浜市に出張数回

新潟県 79大旅

 大学時代信州から北陸へ行く際、車で糸魚川市を経由

富山県 79大旅 18 出

 大学時代旅行、富山市他に出張 2回

◎石川県 79大旅 18 出

 大学時代旅行、山中温泉に出張

福井県 18 出通

山梨県 74修旅、85サ

 高校修学旅行、韮崎市でサッカー大会

◎長野県 74修旅 76~80大 83サ

 高校修学旅行、大学時代合宿、松本市でサッカー大会

岐阜県 74~13通 21出予定

静岡県 74~13通 90サ 出

 清水市(当時)でサッカー大会、静岡市に出張3回

◎愛知県 74~13通 84サ 出

 名古屋市でサッカー大会、出張数回

三重県 72修旅 

 中学で修学旅行

滋賀県 72修旅 74~18通

 中学で修学旅行

京都府 72修旅 74~18通 旅、出

 中学で修学旅行、大学受験、職場旅行、出張数回

大阪府 72~19通 旅、出

 大学受験、職場旅行、出張数回

兵庫県 72~19通 旅、出

 大学受験、職場旅行、出張数回

奈良県 72修旅 

 中学で修学旅行

和歌山県 19 出

 和歌山市他に出張 2回

鳥取県 68 旅 旅、出

 家族旅行、職場旅行、出張、サッカー

島根県 68 旅 7X キャ 旅、出

 家族旅行、キャンプ、職場旅行、出張、サッカー

岡山県 74~13通 旅、出

 職場旅行、旅行、出張、サッカー

広島県居住地

山口県 69 修旅 旅、出

 小学校で修学旅行、職場旅行、出張

徳島県 旅、出

 家族旅行、出張

香川県 89サ 旅、出

    家族旅行、高松市でサッカー大会、出張

愛媛県 旅、出

 職場旅行、出張

高知県 0X 出 旅

 職場旅行、出張

◎福岡県 69 修旅 80 旅通 旅、出

 小学校で修学旅行、職場旅行、旅行、出張

佐賀県 旅、出通

 職場旅行

長崎県 旅、出

 職場旅行、出張

熊本県 旅、出

 職場旅行、出張

大分県 80 旅通 旅

 職場旅行、家族旅行

◎宮崎県 80 旅 88サ

 大学時代旅行、延岡市でサッカー大会

◎鹿児島県 80 旅 8X 出

 大学時代旅行、出張

沖縄県 99職旅

 職場旅行

 

伊豆や鎌倉の思い出 ←大学時代に追加

東京近辺のリゾート地として伊豆半島、熱海などの温泉があり、大学時代何度か訪れた。

一度は上に書いた学部の仲間8人と1泊2日の小旅行で行き、新宿からロマンスカーで行ったか、車で行ったか記憶があいまいであるが、伊豆の修善寺日本サイクルスポーツセンターというのがあって、いろんな面白自転車に乗ったり、フィールド・アスレチックスをしたりして楽しんだ。ちょうど行ったとき、どこかのテレビ局がお笑いタレントずーとるびやバラエティタレント20人くらいが撮影に来ていた。一番メジャーだったのは松本ちえこがいたような気がする。

また、それとは別にサークルの友達の叔父さんが宇佐美というところに別荘を持っており、そこに遊びに行った記憶がある。たぶん冬場だったような記憶があり、そこで何をしたかまでは覚えていないが(笑)。

あと、もっと近場であるが、学部の友達の一人が鎌倉にハマって、大学までかなり時間がかかるがわざわざ下宿を北鎌倉にした奴がおり、何回か遊びに行った。何でもバカなことができるのが大学時代の特権で、急きょ海水浴場の由比ヶ浜で麻雀をしようということになり、そいつの下宿から真夏にこたつの台と麻雀パイを持って海岸に行き、そこで麻雀をやった。周りから注目されたが、真夏の炎天下、半チャン1回やるのが精一杯限界だったような気がする(笑)。

夏休み帰省鈍行列車体験の巻 ←大学時代に追加

大学時代の仲間が8人くらいいたということは上で書いたが、そのうちの4人は西日本出身で、金はなく時間だけはあったから、一度普通列車を乗り継いで帰省してみようということになった。

大垣夜行列車としてウィキペディアにも載っているからそれを参考に書くと、東京駅23:30発で、大垣駅にほぼ朝の7時に着いていた。そこから西明石辺りまではちょうど通勤・通学の時間帯で、快速がかなりの本数走っていた。乗り換える前に駅のホームできしめんを立ち食いしたっけ。

1人は大阪で降り、残る3人は四国が1人で岡山で乗り換え、私と福岡の2人で広島まで来た。西明石には10時か11時頃には着いたが、それ以降は連絡が悪く、確か2度ほど1時間くらい待ち時間があったような気がする。広島駅には3時か4時頃着いたが(あるいは夕方になっていたかも)、最後の1人になった福岡の友達は、さすがにもううんざりということで、そこから新幹線で帰っていった。

それ以外は夏休みと正月休みには帰省し、4年間で少なくとも7往復は新幹線を利用した。一度くらいは若い同世代の女子大生とかと隣同士にならないかとひそかに期待もしていたが、全くそんなことは起こるはずもなく(爆)。

そうそう一度だけ地震かなんかの影響で2時間以上の遅れが発生し、特急料金が払い戻しになり、貧乏学生にとってはありがたいということもあったような気がする。

また、最後卒業してアパートを引き払うときは、母親が手伝いに来てくれて、広島まで飛行機で帰った気がする。

【好きな食べ物】

うちの母は料理が上手な方だと思う。レパートリーもかなり広く、おしなべて何でもおいしかったので、改めておふくろの味と言えばと聞かれてもちょっと考えてしまう。子供ながらに好きな料理と聞かれたら、カレーライスとかハンバーグとか卵焼きとかになるかな。あと唐揚げとか鳥の脚も好きだった。印象に残っているのはマカロニサラダ&ポテトサラダ。ポテトサラダには隠し味として日本酒をほんの少し入れるとか。少しマイナーなところでは、ピーマンの肉詰めに卵をまぶした奴が好きだった。

一番のごちそうと言えばやはりすき焼きだった。親父が健在のときは最初の味付けまではなぜか親父の役割だった。

好き嫌いはあまりない方だったが、子供の頃唯一嫌いというか食べられなかったのは、豚肉の脂身。当時給食は全部食べ切るまで休憩時間に入れなかったが、豚汁のときは本当につらかった。豚の角煮も全くの食べず嫌いで、大人になるまでほとんど食べることはなかったが、40歳くらいのときに宴会の料理で出て騙されたと思って食べたら、まんざらでもなくおいしかった記憶がある(笑)。

あと、食べられないということはないけれど、卵かけごはんの白身が苦手で、1分以上白身が完全に泡になるまでかき混ぜていた。サッカー部の遠征で、もう一人長いことかき混ぜる奴がいて、いっしょじゃのぉと笑い合ったのを覚えている。でも人の味覚は変化するもので、最近になってテレビで全くかき混ぜずに白ごはんにかけるのを見て試しにやってみると普通に食べられるようになっていた。

豚の脂身はまだ苦手で、自分から注文することはまずない。

下戸の私は甘党であるが、和菓子より洋菓子が好き、特に饅頭とかの甘い和菓子はあまり食べない。

一番好きなのはレーズンバターサンド系。和菓子でもせんべい・あられ系は好きで、おにぎりせんべいや揚一番とかが好きだ。

ジュース類は炭酸系が好きで、キリンメッツのグレープフルーツ味が好きだったが、1.5リットルボトルとかがスーパーに売ってないので、果汁100%のグレープフルーツを三ツ矢サイダーで割って代用していた。

夏は氷をなめるだけでも好きだが、森永のアイスボックスグレープフルーツが好きだ。アイスは抹茶の練乳掛けかソーダアイス(ガリガリ君とか)が好きである。

【読書】

小学生時代の小学校の恩師で書いたように、5~6年生の担任の先生から「本を読みなさい」と言われたこともあり、本は割と読んでいた。当時は偉人の伝記なども読んだが、推理小説・ミステリーが好きだった。江戸川乱歩横溝正史、海外ものでシャーロックホームズやルパンなどを読んでいた。

歴史ものはあまり読まなかったと思う。

中学・高校時代は部活やら受験勉強やらで、さすがにほとんど読んでいないと思う。

大学生になって、ラジオで森村誠一の東京空港殺人事件で遭難した乗客が人肉を食べて生きながらえたというエピソードを聴いて衝撃を受け、読んでみてハマり森村誠一の「○○殺人事件」のシリーズを次々と読破した。新幹線、日本アルプス、超高層ホテルなど。私は結構特定の作家で読み続けるという習性があり、その後人間の証明とか高層の死角、腐食の構造、虚無の道標、暗黒流砂をはじめ文庫本は概ね読破した。

やはり推理小説が好きなので、その後は松本清張に移り、点と線やゼロの焦点砂の器など。時代的に書かれた時より時間が経っていたので、アリバイくずしに何で飛行機を思い付かないんだとイライラした。

次に兄貴が持っていた上役のいない月曜日を読んで今度は赤川次郎にハマり、初めは三毛猫ホームズシリーズは敢えて外して読み進み、後半から三毛猫ホームズシリーズも読み始めた。あまりに多いので、専ら角川文庫に絞って読んでいた。

就職してから読むペースは減ったが、これも兄の蔵書から阿刀田高ショートショートのブラックユーモアを知り、すごくハマった。これについては文庫本に限定することなく、むしろ文庫本より普通の単行本を買って読んだ。彼の作品は10数ページくらいの1冊に10編程度のものと、4~6ページの超短編が40作くらい入ったものの二種類ある。また、ブラックユーモアではない、普通のエッセイもある。私のマイフェバ作品は、食べられた男の中の「時間外労働」が最も好きだ。

彼のインタビューの中で、短編集の配置の仕方として、最も自信作を2番目に持ってくるというのがあるが、この「時間外労働」は2番目に配置されているから、本人も自信作なのだと思う。

なお、小説以外でユニークなところでは、多湖輝先生の『頭の体操』シリーズが好きで、よくみていた。最初は全4巻であったが、どんどん増えて、最終的には23巻までいったみたい。

 

 

【プロ野球】

最初の方でも少し書いているが、幼稚園の行事で市民球場に応援に行ったり、家族で外食の帰りに球場に入るなりファウルボールが肩に当たったり、ユニフォームは横溝桂の31番を買ってもらったり、子供の頃から何かと接点はあった。

一貫してアンチ巨人カープファン、ペナントレース中は昨日は勝ったか負けたか程度は常に関心があった。そして高3のときの昭和50年、赤ヘルカープの初優勝で大いに盛り上がった。→高校時代 赤ヘルカープ初優勝 参照

記録を見ると、初優勝の前は1968年に根本監督のとき、初めて3位でAクラス入り。ピッチャーでは外木場と安仁屋、打者では山本一義とトレードで獲得した山内などか活躍していた。当時は貧乏球団でもあったため、12球団唯一助っ人外国人のいない純血主義の球団だった。

その後打者では衣笠や山本浩二、水谷、ピッチャーでは佐伯、金城らが台頭し、池谷も入団し1975年の初優勝となった。さらに、江夏を獲得したり、高橋慶彦、北別府、山根、大野、津田らが活躍し、1991年まで日本一3回、(1979、1980、1984)、リーグ優勝6回(1975、1979、1980、1984、1986、1991)と黄金時代を築いた。

特筆すべきは1979年の悲願の日本一達成の年。衣笠が巨人西本のデッドボールにより連続イニング出場記録が途絶えたり、高橋慶彦の33試合連続安打、そして日本シリーズでは近鉄相手にノーアウト満塁の大ピンチからの江夏の21球。

80年代は小早川、正田、西田、長内、ピッチャーでは福士、長冨らが活躍し、91年には佐々岡、川口、野村、山崎、江藤らによりリーグ優勝。

その後は、打者では前田、緒方、金本、新井ら、ピッチャーでは紀藤、山内、黒田、前田健太ら好選手を輩出するも長らく優勝から遠ざかった。

2015年緒方監督に代わり、大リーグで活躍していた黒田がカープに復帰、久々の優勝が期待されたが4位に終わり、沢村賞前田健太ドジャースに移籍となった。

翌16年は、「1番・田中、2番・菊池、3番・丸」の「タナキクマル」と呼ばれる打順が定着すると、鈴木誠也が2試合連続サヨナラホームランを含む3試合連続決勝ホームランを放つなど活躍し25年振りのリーグ制覇となった。ちなみに私はそれほど球場に足を運ぶ方ではないが、誠也3連発の初戦の延長12回サヨナラ弾のとき観戦していたのはちょっと自慢(笑)。

日本シリーズ日本ハムファイターズとの対戦で、広島ズムスタで連勝したものの、札幌ドームから4連敗で涙を飲んだ。

17年は早くから首位を独走し、早めにリーグ連覇を決めたが、クライマックスシリーズでDeNAに2勝4敗で敗れ日本シリーズには進めなかった。

18年も4月から首位を譲ることなく無難にリーグ3連覇。広島で1勝1分けでスタートするもそこから4連敗でまたしても日本一奪回を逃す。

この間16年で黒田が、18年には新井がそれぞれ引退した。また、丸がFAにより巨人へ移籍し、19、20は巨人が連覇、広島はBクラスに甘んじた。

【高校野球】

いつごろから興味を持って見出したかは定かではないが、小学校高学年頃にはもう見ていたような気がする。広陵の宇根というピッチャーが記憶に残っているから、10歳の頃か。準優勝している。

尾道商業も昭和39年と43年に春準優勝している。39年は覚えていないが、43年の大宮工業は覚えている。

広商は昭和48年春準優勝、夏江川の作新学院を倒して優勝したときは高1のとき。サウスポー佃に達川のバッテリー。金光や楠原もいた。昭和57年にも決勝に進んだが、池田のやまびこ打線に12-2とコテンパンにやられた。広商は昭和63年に夏6回目の優勝をしているが、その後は公立商業高校なので、優勝から遠ざかっている。

むしろ最近は広陵の方が常連で、平成3年春、15年春に優勝し、平成19年野村のとき悲願の夏初優勝と思われたが、まさかの逆転満塁ホームランを浴びて佐賀北に敗れた。さらに平成29年夏には

大会6本塁打で記録更新した中村奨成率いるチームで今度こそと期待されたが、花咲徳栄に14-4で敗れ、なんと夏は優勝なしの4度準優勝。

広島県代表以外で記憶に残っているのは、なんと言っても横浜高校松坂大輔春夏連覇と夏の決勝戦ノーヒットノーラン。夏はPLとの延長の死闘と明徳義塾戦でのまさかの逆転劇。

古くは太田幸司三沢高校松山商の延長再試合と、駒大苫小牧早稲田実業の同じく延長再試合。

ハンカチ王子マー君の死闘も記憶に新しい。延長戦では箕島高校星稜高校の死闘もあった。

あとはPL学園のKKコンビや池田のやまびこ打線。

その他名前だけ列挙すれば、仙台育英常総学院習志野、帝京、日大三東海大相模、中京、東邦、平安、浪商、大阪桐蔭智弁和歌山、天理、報徳学園鹿児島実業などなど。