hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

0526【家電製品今昔】

日本の家電製品は戦後急速に進化した。物心ついた頃から我が家にあった家電製品は次のようなものだったろう。

白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫、ラジオ、扇風機、こたつ…。

このうちの前3者は三種の神器と呼ばれ、昭和30年代頃から急激に普及した。

小学生のテレビアニメ創成期でも書いたが、当時のテレビはチャンネルがダイヤル式で、古くなるとその部分がスポッと外れたりしたものだ。また、よく画像が砂嵐のようになり、冗談ではなくテレビを叩いたら直ったりした(笑)。

1970年の万博の前後頃カラーテレビの普及が進み、我が家もこの時期だったと思う。パナカラー(ナショナル)、キドカラー(日立)、トリニトロンソニー)、他のメーカーはあまり覚えていないが、テレビCMであふれていた。

洗濯機と言えば、まだ脱水機能はなく、ローラー式のくるくる回して水気をとる装置が付いていた。脱水機が付いた二層式が出てきたのは1970年代、平成になってからか。

今は全自動で一槽式が主流であるが、当時は画期的であった。

冷蔵庫も最初は冷凍庫がなく、冷蔵庫の上部分に氷を作るところがあった。長く使うと周りに霜が付き、たまに霜取りをしなければいけなかった。1970年代に冷蔵室が分かれた2ドアが、1980年代には野菜室やチルド室などが分かれ3ドアとなった。

テレビの出現によりラジオを聴くことは少なくなったが、中高生の頃は深夜放送を聴くことはあった。恐らくニッポン放送オールナイトニッポン文化放送のセイヤングが双璧だろう。また、音楽を録音して聴くことが増えたため、ラジカセやウォークマンが普及した。車の中で聴いたり、ウォークマンで移動中に聴いたりするため、自分だけのお気に入りテープを作るため、ダブルカセットレコーダーが必需品だった。

1990年代頃からビデオデッキが普及し始めた。当初ソニーのベータ方式とビクター外のVHS方式が2方式がしのぎを削っていたが、やがてベータ方式は姿を消しVHSに規格統一された。ビデオデッキの普及に伴い、レンタルビデオ店が繁盛し、私もかなり利用していた。

録音・録画媒体は時代を経て、カセットテープからCD、ビデオテープからDVD~ブルーレイへと姿を変え、レコーダーも変化した。カセットテープ・ビデオテープともアナログなため、頭出しに巻き戻し・早送りをする必要があり、そのため100本に1本くらい運悪くデッキに絡みついたり切れたりという悲しい出来事が起きていたものだ。

私の子どもの頃は、地球温暖化が進む前でまだまだ扇風機だけで涼めていた。いなかの家などは、夜は蚊帳をして縁側の戸開けっ放しで寝ていた。子どもの頃の扇風機の思い出と言えば、回る羽根に向かって「あああああ」と言うのは誰しも一度は経験したことがあるだろう。

扇風機に替わり家庭にエアコン(当初は冷却機能のみでクーラーと呼ばれていた)が普及し始めたのは1970年代頃からだそうだ。日本の高度成長期で、カラーテレビ・クーラー・車(カー)が3Cと呼ばれ急速に普及した。三種の神器から3Cへ。我々世代は身をもって日進月歩を体験することができたのだ。