hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

0525【電話と郵便今昔】

我が家には最初電話はなく、小学校高学年頃やっと電話がついた。低学年の頃の普及率はほぼクラスの半数くらいで、当時は呼び出し電話というシステムがあって、何か急用があるときは、近所又は知り合いの電話のある家に頼んで呼び出し電話番号を登録させてもらっていた。クラスの住所録・連絡一覧表には(呼出)として記入してあった。

当時の一般的な電話は黒電話でダイヤル式、0や9は回るのに時間がかかるため、企業などは若い番号特に「1111」とかが喜ばれ、大企業などは電話番号を買い取ったりしていたようだ。市役所や県庁も代表電話は2111が使われていた(広島の場合)。

調べてみるとダイヤル式からプッシュホンに切り替わったのは、1985年の電話端末機器の自由化以後のようだ。

公衆電話は色により役割・機能が異なり、赤・ピンク・青・黄などがあった。市外に電話を掛けるとき、10円玉をたくさん用意していたものだが、100円に対応した黄色電話が登場してその心配はなくなったが、逆に戻りがない不便さがあった。それらもテレホンカードが出現してから解消された。

世代的に使ったことはないが、携帯電話が登場する前に電話が欲しいときに伝えるためにポケベルが登場し、若者などの間では数字の語呂合わせでメッセージを伝えていた。

携帯電話は1990年代くらいから普及し、2007年以降は現在のスマートフォンに進化した。今では主義として持たない一部の人を除きほとんどの人がスマートフォンを持つ時代になっている。スマートフォンiPhoneとアンドロイドがあるが、世界的にはアンドロイド7対iPhone 3のところ日本では正反対の3対7のシェアになっているそうだ。ちなみに私はアンドロイドで、iPhoneを持ったことは一度もない。

 

一方、日本人の手紙離れは急速に進んでおり、年賀状を出す人の割合も50%を切ったとも言われている。私も年賀状以外に郵便を出すということはほとんどなかった。唯一大学時代は広島を離れていたので、母親や友達と多少やり取りをしたことがあるくらい。日本の郵便番号は昭和43年(1968年)に3桁又は5桁でスタートしたらしい。平成10年(1998年)に7桁に移行し現在に至っている。

郵便関連ですごく記憶に残っている出来事が一つあって、小学生の時の年賀状についてである。親しいクラスメイトと年賀状のやり取りをしていたが、私は白島小学校に通っており、当然住所が白島〇町の人もおり、その一人の年賀状が「あて所に尋ねあたりません」と返ってきた。よく見ると「白島」の「島」の字が「鳥」になっていた。もちろん住所が間違っていたから届かなくて仕方がないのだが、誰が見ても子どもの筆跡で書き間違えたなと察して届けてくれてしかるべきではないか。好意的に解釈すると郵便局の人は子どもに対して「住所を書き間違えると郵便物は届かないよ。注意してね」と伝えるためにあえて返送したと推察されるが、子どもながらにトラウマとなり、一生忘れることのない悲しい出来事になってしまった。その後住所を書くときは普通の人より注意して慎重に書くようになったため、ある意味郵便局の人の思惑はみごとに伝わったわけだが、今でもやはりそのまま配達してくれれば良かったのにと思っている。

「お前の年賀状の住所「白島」が「白鳥」になっとったぞ。アハハ!」

「ほんまにか?よう届いたのぉ、ワハハハハ」

と笑い話のいい思い出になったのに…。