hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

0410 親父のこと

私の父のことは冒頭に少し書いたが、酒は全くの下戸だった反面、ヘビースモーカーで缶ピースを吸っていた。一度40代で胆石になり、大きいお腹に10センチくらいの縫った傷跡があったが、50歳前くらいで肺結核と診断され、入退院を繰り返していたように思う。

大学生になって夏休みと冬休みは帰省していたが、春休みは短いし、帰るつもりはなかった。しかし、母親から帰ってくるようにという手紙をもらい、なんかよくない話があるのかなと。帰省すると案の定母親から、「父は肺がんで、もうあともって半年、長くても1年くらい」と…。兄はともかく、私までそういう予感をしていたというのを聞いてびっくりしていたが、普通思うよねぇ。

当時化学療法がすでにあったか定かではないが、もはや手の施しようがなく、望みは当時無認可の(今も?)丸山ワクチンだけだった。

夏に帰省して、顔を出せるときはなるべく病院に見舞いに行っていたが、まだすぐにどうこうということはないと聞いていた。しかし、その日も病院に顔を出していたが、母親から今日は帰りなさいと言われ、一人で夕食を取り、お風呂を沸かしていた8時過ぎに電話がかかってきた。あまりに急で私は父の死に目に会えなかったのだ。「最近調子良さそうだったから1年くらい伸びるのかと思っていたけど、やっぱりちょうど半年だったねぇ」

通夜、葬儀から四十九日まで慌ただしく過ぎ、家族3人で京都に納骨に行った。様々な手続きや葬儀屋との対応、香典返し、その他諸々いろんなことがあったと思うが、全て母と兄でやってくれて、心底次男坊でよかったなあと感じたものだった。

今思えば、親父はただでさえ寡黙な人で、ふだんあまり親子で話をすることもなかったが、将来のこと、社会人として、男としてどのように生きるべきか、父親として、人生の先輩としてほとんど深い話を聞けないまま旅立たれたので、二人とも下戸同士だったが、酒でも飲みながらそんな話をしてみたかったと残念に思う。

最終的に独り身になった母親のこともあり、広島に里帰りすることにした。

 

 

以上、物心ついてから、小・中・高、そして大学生までの約20年間を思い付くままとりとめもなく書き綴った。就職してからのことはあまり書く気がしないので、とりあえずここで筆を置くことにします。最後まで読んでくれた奇特な方は本当にありがとうございました。