hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

0510【オリンピック】

オリンピックを初めて見たのは1964年の東京オリンピック。私は7歳の小学1年生のとき。一番覚えているのは、マラソンの円谷。学校から帰って夕方テレビで見たような。国立競技場に入ったときはアベベに次いで2位だったが、トラックで抜かされ3位、銅メダルに終わったと思う。

あとは東洋の魔女の女子バレーボール、三宅の重量挙げ、柔道や体操、水泳のドン・ショランダー、陸上100m決勝くらいが何となく記憶にある。なぜか女子体操のチャスラフスカ(チェコ)とクチンスカヤ(旧ソ連)は固有名詞を覚えている(この二人は4年後のメキシコ大会でもメダルを争ったからみたいだ)。

メキシコ大会はなんと言ってもサッカーの銅メダル。重量挙げやレスリング、男子体操がいくつか金メダルを取ったのは覚えている。あとやたら首を振るマラソンの君原が銀メダル。

次のミュンヘンは子供の頃では一番記憶に残っている。

男子バレーボールが強く、中学時代のところでも書いたけど、テレビアニメでミュンヘンへの道があった。準決勝で2セット取られたあと奇跡の大逆転でそのまま優勝。水泳の平泳ぎ金メダルの田口信教は尾道高校の出身。水泳ではマーク・スピッツの独壇場で自由形とバタフライで7冠。体操ニッポンが強く、塚原のムーンサルトもこのとき。個人総合の加藤沢男がザワオ・カトウとドイツ語読みで呼ばれていたっけ。

1976年のモントリオールはあまり印象に残っていない。日本のお家芸、柔道、体操、レスリングで金メダル、あとこの年は女子バレーボールも金。白井貴子や横山樹里がいたときか。大会としては体操のコマネチとアンドリアノフが一世を風靡したとき。ビートたけしがネタにしていた。

次の1980年モスクワ大会は、冷戦下でソ連アフガニスタン侵攻に抗議してアメリカ、日本他に西側主要国はボイコット、柔道の山下の涙は記憶に残っている。マラソンの瀬古もこのときがピークで、その後の2大会に出場したが振るわず。

1984年ロサンゼルスは今度は東側諸国がボイコット。商業五輪の発端となる大会で、ジェット噴射のロボットマンの開会式が記憶に新しい。カール・ルイスの大会と言っても過言ではなく、日本としては具志堅幸司の体操と、足を怪我した山下の涙の金メダル。

1988年はソウル。日本は振るわず、金は4個のみ。鈴木大地のバサロが印象に残っている。視力があまりよくない鈴木が目を細めて電光掲示板を見ていた。レスリングの小林が公衆電話ボックスに金メダルを忘れたが戻ってきたというのが話題に。世界的には100mでベン・ジョンソンが世界記録でカール・ルイスを破って優勝したが、のちにドーピングではく奪された。

92年のバルセロナではさらに少なく3つのみ。14歳の岩崎恭子が平泳ぎで金を取り、「今までの人生で一番幸せ」が有名に。

96年アトランタも金は野村など柔道の3つ。田村亮子バルセロナに続き銀メダル。あとは自分で自分をほめたいの有森裕子(ほめてあげたいは誤記とのこと)。そしてマイアミの奇跡の男子サッカー。

2000年シドニーは柔道4つと高橋尚子高橋尚子の「とっても楽しい42キロでした」と彼女がhitomiの「LOVE2000」をよく聴いていたのを覚えている。田村亮子は3大会目で念願の金。篠原は誤審で銀メダルに終わる。水泳では地元イアン・ソープが大活躍。

2004年のアテネ大会、日本は強化策が実り、久々の金16個。ゆずの栄光への架け橋をBGMに男子体操の久々に金。柔道野村忠宏前人未到の3連覇。「チョー気持ちいい」の北島の100、200平泳ぎ。ハンマー投げ室伏広治。吉田、伊調のレスリング。野口みずきのマラソン

2008年は北京。金メダルは「なんも言えねえ」の100、200平泳ぎ2連覇の北島康介。吉田、伊調も連覇。あと女子ソフトボールと柔道。ママでも金を目指した谷亮子は銅に終わる。

2012年ロンドン大会は、レスリング吉田、伊調は3連覇。体操男子個人総合の内村航平。柔道は女子の松本薫のみ。ボクシングミドル級で村田が金。競泳男子メドレーリレーで、「康介さんを手ぶらで帰らせる訳にはいかない」の銀メダル。福原愛ちゃん、石川佳純らの卓球女子も銀、男子フェンシングも銀。

2016年はリオデジャネイロ。体操男子団体と内村の個人総合2連覇。伊調は驚異の4連覇を達成したが、吉田沙保里は惜しくも銀。水泳、柔道、レスリングなどで金。バドミントンの松友ペアがダブルス金。男子100×4リレーはアメリカの失格もあり銀メダル。卓球は男子が銀、女子は銅。テニスの錦織は銅。