hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

0001 昭和32年5月X日誕生

天使降臨(笑)

我々の世代はすでに病院の方が多く、現に3つ違いの兄もそうであったらしいが、なぜか私は親父の田舎でお産婆さんに取り上げてもらったらしい。

当時両親は広島市内に住んでいたが、親父の田舎は佐伯郡能美町(当時)である。ちなみに今は町村合併して江田島市になっている。今は近しい親戚もなく、墓参りに帰るだけである。

父親はキヨシ、大正13年生まれ、広島の鉄道郵便局に勤務。小柄でお腹が出ており、祖母に言わせると、先代の若乃花に似てたとのこと。私が大学2年のとき、52歳の若さで死別したからかなり記憶が薄れているが、とにかく寡黙で真面目な人だった。下戸で酒はほとんど飲まないが、かなりのヘビースモーカーで、缶入りピースを吸っていた。

母親はカズエ、昭和5年生まれ、専業主婦であった。第二次大戦前は日本の領土であった台湾に住んでおり、本人から聞いた話では、住み込みの使用人やお手伝いさんもいるようなお嬢様だったらしい。恐らく転勤で台湾に渡ったのではないかと思うが、今となってはどんな会社に勤めていたのか聞ける人はもういなくなってしまった。敗戦によりほとんど着の身着のままで引き揚げとなり、九州宮崎の親戚の家で暮らしていたそうだ。敗戦さえなければ裕福な生活が送れたのに、引き揚げ者には十分な国家補償はなく、幼いながらに日本政府への不満を聞かされていたのを記憶している。

その後どうして広島に来たのかなども聞けていないが、父とは見合い結婚だったと聞いている。

この二人の両親の次男坊としてこの世に生を受けたのであった。