hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

0302 相も変わらずサッカー部

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皆実高校には珍しく野球部がなく、サッカー部はすごく強い訳ではないが、校庭はかなり広く使っていた。新たに始めたい部活がある訳でもなく、流れですぐにサッカー部に入った。一人F中でキャプテンをやっていたKは選抜に選ばれるレベルの選手で、他にも何人か経験者がおり、まあまあ強かった。とは言え当時の広島のサッカー勢力図は、広島県工がダントツ強く、公立普通科では国泰寺高にいい選手が集まっていた。例年はベスト16からうまくいってベスト8くらいの実力だが、3年の最後の県大会では強いところが反対のゾーンに集まり、絶好のチャンス。準決勝で舟入高に勝ち、なんと決勝まで勝ち進んだ。

決勝は観音の県営グランドであり、当時としては夢のような憧れの天然芝のグランド。平日だったので、午後の授業の代わりに全校生徒が応援に駆けつけてくれた。相手は広大附属高で、まだPK戦がない時代で延長・再延長まで戦い、決着がつかず翌日再試合となった。その日は後半半ばでエースKのゴールで先制するも、残りわずか30秒で同点に追いつかれる(ガクッ)。10分ハーフの延長・再延長まで計110分の死闘も決着つかず。次の日は県営グランドは使えず、どちらかの高校のグランドでやることになり、コイントスの結果我が皆実高校でやることに。勝利の女神はまだこちらに微笑んでいると思っていた。案の定再試合もこちらが先制したが、後半追いつかれ、再度延長・再延長まで突入。最後の最後で決勝点を奪われ山梨のインターハイ全国大会には行けず。

にわかの応援団ができて涙する女子生徒もおり、我ながら青春していたなあ。卒業アルバムも普通は文科会系・体育会系それぞれ見開き2ページずつのところを、この年はサッカー部だけで見開き2ページで特集された。

ちなみにこの2日ともNHKのなんとテレビではなくラジオ中継があり、当時マツダ出身で元日本代表の松本育夫さんが解説をされていたのだが、1回だけ我ながらいいプレーがあり、褒めてもらった録音テープが一生の家宝になっている。

アナ「いやあ、すさまじい攻防を見せましたねぇ」

松本さん「昨日から皆実高校のO君ですね。非常にいいプレーが多いですね。地味ですがとてもチームに貢献しています」

広大附属の同じ11番の選手がいいプレーが多かったので、ごっちゃになっていたと思われ(笑)。

アナウンサーさんも何故か途中から私のことを「快速の〇〇」と実況してくれて(別に特別足が速かったわけではない)、いい思い出になっている。実は結婚式の披露宴で、このテープを流してもらったりして(爆)。