hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

0515【読書】

小学生時代の小学校の恩師で書いたように、5~6年生の担任の先生から「本を読みなさい」と言われたこともあり、本は割と読んでいた。当時は偉人の伝記なども読んだが、推理小説・ミステリーが好きだった。江戸川乱歩横溝正史、海外ものでシャーロックホームズやルパンなどを読んでいた。

歴史ものはあまり読まなかったと思う。

中学・高校時代は部活やら受験勉強やらで、さすがにほとんど読んでいないと思う。

大学生になって、ラジオで森村誠一の東京空港殺人事件で遭難した乗客が人肉を食べて生きながらえたというエピソードを聴いて衝撃を受け、読んでみてハマり森村誠一の「○○殺人事件」のシリーズを次々と読破した。新幹線、日本アルプス、超高層ホテルなど。私は結構特定の作家で読み続けるという習性があり、その後人間の証明とか高層の死角、腐食の構造、虚無の道標、暗黒流砂をはじめ文庫本は概ね読破した。

やはり推理小説が好きなので、その後は松本清張に移り、点と線やゼロの焦点砂の器など。時代的に書かれた時より時間が経っていたので、アリバイくずしに何で飛行機を思い付かないんだとイライラした。

次に兄貴が持っていた上役のいない月曜日を読んで今度は赤川次郎にハマり、初めは三毛猫ホームズシリーズは敢えて外して読み進み、後半から三毛猫ホームズシリーズも読み始めた。あまりに多いので、専ら角川文庫に絞って読んでいた。

就職してから読むペースは減ったが、これも兄の蔵書から阿刀田高ショートショートのブラックユーモアを知り、すごくハマった。これについては文庫本に限定することなく、むしろ文庫本より普通の単行本を買って読んだ。彼の作品は10数ページくらいの1冊に10編程度のものと、4~6ページの超短編が40作くらい入ったものの二種類ある。また、ブラックユーモアではない、普通のエッセイもある。私のマイフェバ作品は、食べられた男の中の「時間外労働」が最も好きだ。

彼のインタビューの中で、短編集の配置の仕方として、最も自信作を2番目に持ってくるというのがあるが、この「時間外労働」は2番目に配置されているから、本人も自信作なのだと思う。

なお、小説以外でユニークなところでは、多湖輝先生の『頭の体操』シリーズが好きで、よくみていた。最初は全4巻であったが、どんどん増えて、最終的には23巻までいったみたい。

 

 

0514【プロ野球】

最初の方でも少し書いているが、幼稚園の行事で市民球場に応援に行ったり、家族で外食の帰りに球場に入るなりファウルボールが肩に当たったり、ユニフォームは横溝桂の31番を買ってもらったり、子供の頃から何かと接点はあった。

一貫してアンチ巨人カープファン、ペナントレース中は昨日は勝ったか負けたか程度は常に関心があった。そして高3のときの昭和50年、赤ヘルカープの初優勝で大いに盛り上がった。→高校時代 赤ヘルカープ初優勝 参照

記録を見ると、初優勝の前は1968年に根本監督のとき、初めて3位でAクラス入り。ピッチャーでは外木場と安仁屋、打者では山本一義とトレードで獲得した山内などか活躍していた。当時は貧乏球団でもあったため、12球団唯一助っ人外国人のいない純血主義の球団だった。

その後打者では衣笠や山本浩二、水谷、ピッチャーでは佐伯、金城らが台頭し、池谷も入団し1975年の初優勝となった。さらに、江夏を獲得したり、高橋慶彦、北別府、山根、大野、津田らが活躍し、1991年まで日本一3回、(1979、1980、1984)、リーグ優勝6回(1975、1979、1980、1984、1986、1991)と黄金時代を築いた。

特筆すべきは1979年の悲願の日本一達成の年。衣笠が巨人西本のデッドボールにより連続イニング出場記録が途絶えたり、高橋慶彦の33試合連続安打、そして日本シリーズでは近鉄相手にノーアウト満塁の大ピンチからの江夏の21球。

80年代は小早川、正田、西田、長内、ピッチャーでは福士、長冨らが活躍し、91年には佐々岡、川口、野村、山崎、江藤らによりリーグ優勝。

その後は、打者では前田、緒方、金本、新井ら、ピッチャーでは紀藤、山内、黒田、前田健太ら好選手を輩出するも長らく優勝から遠ざかった。

2015年緒方監督に代わり、大リーグで活躍していた黒田がカープに復帰、久々の優勝が期待されたが4位に終わり、沢村賞前田健太ドジャースに移籍となった。

翌16年は、「1番・田中、2番・菊池、3番・丸」の「タナキクマル」と呼ばれる打順が定着すると、鈴木誠也が2試合連続サヨナラホームランを含む3試合連続決勝ホームランを放つなど活躍し25年振りのリーグ制覇となった。ちなみに私はそれほど球場に足を運ぶ方ではないが、誠也3連発の初戦の延長12回サヨナラ弾のとき観戦していたのはちょっと自慢(笑)。

日本シリーズ日本ハムファイターズとの対戦で、広島ズムスタで連勝したものの、札幌ドームから4連敗で涙を飲んだ。

17年は早くから首位を独走し、早めにリーグ連覇を決めたが、クライマックスシリーズでDeNAに2勝4敗で敗れ日本シリーズには進めなかった。

18年も4月から首位を譲ることなく無難にリーグ3連覇。広島で1勝1分けでスタートするもそこから4連敗でまたしても日本一奪回を逃す。

この間16年で黒田が、18年には新井がそれぞれ引退した。また、丸がFAにより巨人へ移籍し、19、20は巨人が連覇、広島はBクラスに甘んじた。

0513【高校野球】

いつごろから興味を持って見出したかは定かではないが、小学校高学年頃にはもう見ていたような気がする。広陵の宇根というピッチャーが記憶に残っているから、10歳の頃か。準優勝している。

尾道商業も昭和39年と43年に春準優勝している。39年は覚えていないが、43年の大宮工業は覚えている。

広商は昭和48年春準優勝、夏江川の作新学院を倒して優勝したときは高1のとき。サウスポー佃に達川のバッテリー。金光や楠原もいた。昭和57年にも決勝に進んだが、池田のやまびこ打線に12-2とコテンパンにやられた。広商は昭和63年に夏6回目の優勝をしているが、その後は公立商業高校なので、優勝から遠ざかっている。

むしろ最近は広陵の方が常連で、平成3年春、15年春に優勝し、平成19年野村のとき悲願の夏初優勝と思われたが、まさかの逆転満塁ホームランを浴びて佐賀北に敗れた。さらに平成29年夏には大会6本塁打で記録更新した中村奨成率いるチームで今度こそと期待されたが、花咲徳栄に14-4で敗れ、なんと夏は優勝なしの4度準優勝。

広島県代表以外で記憶に残っているのは、なんと言っても横浜高校松坂大輔春夏連覇と夏の決勝戦ノーヒットノーラン。夏はPLとの延長の死闘と明徳義塾戦でのまさかの逆転劇。

古くは太田幸司三沢高校松山商の延長再試合と、駒大苫小牧早稲田実業の同じく延長再試合。

ハンカチ王子マー君の死闘も記憶に新しい。延長戦では箕島高校星稜高校の死闘もあった。

あとはPL学園のKKコンビや池田のやまびこ打線。

その他名前だけ列挙すれば、仙台育英常総学院習志野、帝京、日大三東海大相模、中京、東邦、平安、浪商、大阪桐蔭智弁和歌山、天理、報徳学園鹿児島実業などなど。

0512【ワールドカップサッカー】

初めてワールドカップに触れたのは、70年のメキシコ大会。中1のときか。ペレが全盛の頃で、ブラジルが優勝したが、個人的には西ドイツが好きで、皇帝ベッケンバウアー爆撃機ゲルト・ミュラー。準決勝の西ドイツ対イタリアはまさに死闘だった。試合中ベッケンバウアーが脱臼して包帯巻きでプレーし、逆転逆転のシーソーゲーム。最後延長で4-3でイタリアが勝利。

74年は西ドイツ大会。オレンジ軍団のオランダのトータルサッカーが印象的。中でもヨハン・クライフニースケンスのコンビが素晴らしく、点で合わせるゴールが記憶に新しい。得点王は3位ポーランドのラトー。8時間時差ある中、決勝は深夜リアルタイムで見た覚えがある。

78年はアルゼンチン大会で、地元アルゼンチンが初優勝。オランダはまたしても決勝で涙を飲む。

82年はスペイン大会、イタリアの優勝で、ロッシが得点王。

86年はメキシコ大会で、アルゼンチンの優勝、マラドーナの独壇場。5人抜きあり、神の手あり。

90年はイタリア大会で、地元イタリアは決勝に残れず、西ドイツの優勝で、マラドーナの連覇を阻む。

94年はアメリカ大会、決勝はスコアレスのPK合戦で、イタリアバッジオがPK外して終了。日本はドーハの悲劇で悲願の初出場を逃す。

98年フランス大会は日本が初出場も3戦全敗。日本初ゴールはゴン中山。優勝はジダン率いるシャンパンサッカーの地元フランス。カズと北澤は大会直前で代表から外れ出場できず。

2002年は日韓共同開催。ヨーロッパとアメリカ大陸交互の開催から初のそれ以外の開催。地元日本はグループHで強豪ベルギーと初戦引き分け、ロシアとチュニジアに勝ちグループ1位で決勝トーナメントへ。トルコと対戦し惜しくも0-1で8強入りならず。一方の開催国韓国はイタリア、スペインを破りなんとベスト4入り。結局優勝はブラジルで、ロナウドが得点王。日本は開催国として大いに盛り上がり、最も人気があったのはイングランドベッカムフィーバー。

2006年はドイツ大会、日本は1分け2敗で予選リーグ敗退。中田英は大会終了後引退。優勝はイタリア、フランスジダンは頭突きで一発退場。

2010年は史上初のアフリカ開催、南アフリカ大会。日本はオランダに敗れるも2勝1敗グループ2位で決勝トーナメント進出。パラグアイ戦で健闘むなしく0-0からPK戦で敗れ8強入りならず。優勝はスペイン。

2014年はブラジル大会。日本は1分け2敗で予選リーグ突破できず。地元ブラジルは準決勝でドイツに1-7の歴史的大敗。優勝はドイツ。

2018年はロシア大会。日本は初戦強豪コロンビアに勝利し、1勝1敗1分けでかろうじてグループ2位となり決勝トーナメント進出。ベルギー戦に2点先行し初の8強入りと期待するもまさかの2-3の逆転負け。優勝はフランス。

0511【冬季オリンピック】

冬季オリンピックを見始めたのは1972年の札幌から。何と言ってもスキージャンプ70m級の笠谷、金野、青地の表彰台独占。日の丸飛行隊と呼ばれた。日本のメダルはこれだけだったが、あと記憶に残っているのはフィギュアスケートのジャネット・リン。大会期間中ずっとテレビを見てたから、リュージュボブスレーなどは初めて見た。

その後、日本はジャンプと短距離のスピードスケートが強く、ジャンプの八木やスケートの黒岩彰橋本聖子などが記憶に残っている。92年からはノルディックスキー複合も強く、萩原や河野の名前を覚えている。

94年から夏季と冬季をずらすため、2年間隔で開催された。

98年は日本で2度目の冬季オリンピックが長野で行われた。地元開催だけに日本のメダルは、金5、銀1、銅4の10個、スキージャンプの団体と船木、スピードスケートの清水、モーグルの里谷など。

リレハンメルで銀に終わったジャンプ団体で雪辱を果たしたが、キーポイントとなる原田がまた1本目失敗ジャンプだったが、2本目で本領発揮、か細い声の「ふなき~」が記憶に新しい。

その後では2006年トリノの金メダルの荒川静香、2010年バンクーバーで残念ながらキム・ヨナに敗れた浅田真央の銀と高橋大輔の銅。ソチ・ピョンチャン2連覇の羽生結弦、ソチのレジェンド葛西の銀、ピョンチャンの小平と高木姉妹の金などなど。

0510【オリンピック】

オリンピックを初めて見たのは1964年の東京オリンピック。私は7歳の小学1年生のとき。一番覚えているのは、マラソンの円谷。学校から帰って夕方テレビで見たような。国立競技場に入ったときはアベベに次いで2位だったが、トラックで抜かされ3位、銅メダルに終わったと思う。

あとは東洋の魔女の女子バレーボール、三宅の重量挙げ、柔道や体操、水泳のドン・ショランダー、陸上100m決勝くらいが何となく記憶にある。なぜか女子体操のチャスラフスカ(チェコ)とクチンスカヤ(旧ソ連)は固有名詞を覚えている(この二人は4年後のメキシコ大会でもメダルを争ったからみたいだ)。

メキシコ大会はなんと言ってもサッカーの銅メダル。重量挙げやレスリング、男子体操がいくつか金メダルを取ったのは覚えている。あとやたら首を振るマラソンの君原が銀メダル。

次のミュンヘンは子供の頃では一番記憶に残っている。

男子バレーボールが強く、中学時代のところでも書いたけど、テレビアニメでミュンヘンへの道があった。準決勝で2セット取られたあと奇跡の大逆転でそのまま優勝。水泳の平泳ぎ金メダルの田口信教は尾道高校の出身。水泳ではマーク・スピッツの独壇場で自由形とバタフライで7冠。体操ニッポンが強く、塚原のムーンサルトもこのとき。個人総合の加藤沢男がザワオ・カトウとドイツ語読みで呼ばれていたっけ。

1976年のモントリオールはあまり印象に残っていない。日本のお家芸、柔道、体操、レスリングで金メダル、あとこの年は女子バレーボールも金。白井貴子や横山樹里がいたときか。大会としては体操のコマネチとアンドリアノフが一世を風靡したとき。ビートたけしがネタにしていた。

次の1980年モスクワ大会は、冷戦下でソ連アフガニスタン侵攻に抗議してアメリカ、日本他に西側主要国はボイコット、柔道の山下の涙は記憶に残っている。マラソンの瀬古もこのときがピークで、その後の2大会に出場したが振るわず。

1984年ロサンゼルスは今度は東側諸国がボイコット。商業五輪の発端となる大会で、ジェット噴射のロボットマンの開会式が記憶に新しい。カール・ルイスの大会と言っても過言ではなく、日本としては具志堅幸司の体操と、足を怪我した山下の涙の金メダル。

1988年はソウル。日本は振るわず、金は4個のみ。鈴木大地のバサロが印象に残っている。視力があまりよくない鈴木が目を細めて電光掲示板を見ていた。レスリングの小林が公衆電話ボックスに金メダルを忘れたが戻ってきたというのが話題に。世界的には100mでベン・ジョンソンが世界記録でカール・ルイスを破って優勝したが、のちにドーピングではく奪された。

92年のバルセロナではさらに少なく3つのみ。14歳の岩崎恭子が平泳ぎで金を取り、「今までの人生で一番幸せ」が有名に。

96年アトランタも金は野村など柔道の3つ。田村亮子バルセロナに続き銀メダル。あとは自分で自分をほめたいの有森裕子(ほめてあげたいは誤記とのこと)。そしてマイアミの奇跡の男子サッカー。

2000年シドニーは柔道4つと高橋尚子高橋尚子の「とっても楽しい42キロでした」と彼女がhitomiの「LOVE2000」をよく聴いていたのを覚えている。田村亮子は3大会目で念願の金。篠原は誤審で銀メダルに終わる。水泳では地元イアン・ソープが大活躍。

2004年のアテネ大会、日本は強化策が実り、久々の金16個。ゆずの栄光への架け橋をBGMに男子体操の久々に金。柔道野村忠宏前人未到の3連覇。「チョー気持ちいい」の北島の100、200平泳ぎ。ハンマー投げ室伏広治。吉田、伊調のレスリング。野口みずきのマラソン

2008年は北京。金メダルは「なんも言えねえ」の100、200平泳ぎ2連覇の北島康介。吉田、伊調も連覇。あと女子ソフトボールと柔道。ママでも金を目指した谷亮子は銅に終わる。

2012年ロンドン大会は、レスリング吉田、伊調は3連覇。体操男子個人総合の内村航平。柔道は女子の松本薫のみ。ボクシングミドル級で村田が金。競泳男子メドレーリレーで、「康介さんを手ぶらで帰らせる訳にはいかない」の銀メダル。福原愛ちゃん、石川佳純らの卓球女子も銀、男子フェンシングも銀。

2016年はリオデジャネイロ。体操男子団体と内村の個人総合2連覇。伊調は驚異の4連覇を達成したが、吉田沙保里は惜しくも銀。水泳、柔道、レスリングなどで金。バドミントンの松友ペアがダブルス金。男子100×4リレーはアメリカの失格もあり銀メダル。卓球は男子が銀、女子は銅。テニスの錦織は銅。

0509【韓流ドラマ】

少女時代にはまり、まずユナの出ているドラマを見てみようと。

「君僕(君は僕の運命)」はあまりにも長いので「シンデレラマン」。あまり評判はよくないみたいだけど、普通に面白かった。

ますますユナが好きになり、年末年始の休みを利用して「君僕」をレンタル。

あらゆる場面でツッコミどころ満載だったけど、字幕なので1.5倍速で一気に見終えた。

ちなみに全178話ある。その後BSで全話放送されたので、DVDに録画してある。

参考までに義理のオッパの名前が「キム・テヨン」である(ちなみに少女時代のメンバーにいる)。

次にユナのデビュー作「9回裏2アウト」を見始める。しょうもないストーリーだったが、ユナ登場まで何とかガマンしようとしたが、ユナの役どころも意地の悪い役で、途中で断念した。

 

この頃同じ職場の韓流ドラマにくわしい人からユン・ウネを勧められ「宮」を見る。

長澤まさみ似のユン・ウネ、なかなかいいじゃん。

でも評判なかなかいい「ぶどう畑」は私はどうも入っていけず、3話くらいで止め。

そのくらいからよくなるというのも聞いて早送りして見たが、やっぱり断念した。

コーヒープリンス」もツッコミどころ満載だが、まあまあ楽しめた。

周りのみんなにコン・ユがイノッチそっくりと主張するが、あまり共感を得られず。

 

この頃までになんかの予告篇で「ファンタスティック・カップル」を見てハン・イェスルが気になり、借りて見た。ハン・イェスルの美しさもさることながら、ストーリーも抜群で、韓流歴代マイベスト作品。「コラジ・ハゴヌン」(~のざまったら)にハマッた。

そうそうハン・イェスルは、少女時代のインタビュー番組で、ジェシカが今一番会いたい芸能人として紹介されていた。ちなみにナンバー2のヒロイン、パク・ハンビョルもかわいい。

ここからハン・イェスル出演作シリーズを集中して借りる。

といっても、「クリスマスに雪は降るの?」はまずまず(女性の方、共演のコ・スかっこいいよ)

いかさま師はストーリーについていけずハン・イェスルが登場する前の1話で断念。

 

テレビでコン・ユの「ある素敵な日」をやっていたので、録画して見ると、共演していたイ・ヨニがやたら可愛く最後まで見た。ちょうど同じ頃、スヨンが昔出てたアサヤンの日韓ユニットのオーディションの最終選考まで残ったのが彼女というのも知った。映画の「百万長者の初恋」を見てますますお気に入りに。彼女はSMエンターテインメント所属で、少女時代に入る可能性もあったとのこと。

でも彼女自身は女優になりたかったから、否定的だったけど。

 

以上、韓流ドラマのベスト・スリーは

1 ファンタスティック・カップ

2 君は僕の運命

3 宮

 

映画はダントツで「百万長者の初恋」。

最近では、今年「新聞記者」で日本アカデミー賞主演女優賞をとったシム・ウンギョンが主演の「怪しい彼女」を見たが、すごく面白かった。なので日本版リメイクの多部未華子の方も見た。