hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

0506【邦画】

私が20歳前後の頃、日本映画と言えばほぼ角川映画だった。犬神家の一族に始まり、薬師丸ひろ子原田知世の二大スターの人間の証明、野生の証明、セーラー服と機関銃時をかける少女など。渡辺典子を加えて3人娘らしいけど、渡辺は見ていない。主題歌を含めてすごくヒットしていた。

その後バブル絶頂の頃、いわゆるホイチョイ3部作、私をスキーに連れてって(1987)、彼女が水着にきがえたら(1989)、波の数だけ抱きしめて(1991)。

その後は主に日テレ系で見た記憶があるが、スタジオジブリのアニメ映画。となりのトトロ魔女の宅急便をはじめとする宮崎駿作品と火垂るの墓おもひでぽろぽろなどの高畑勲作品。どちらも好きだった。

一般のいわゆる邦画で記憶に残っているのは、興行成績上位から見てみると、容疑者Xの献身、いま、会いにいきます、恋空、君の膵臓をたべたい、Shall we ダンス?、8年越しの花嫁、空飛ぶタイヤ麒麟の翼、祈りの幕が下りる時…。あとエヴァンゲリオンシリーズも。

1,2を選ぶとしたら、君の膵臓をたべたいと祈りの幕が下りる時…。浜辺美波が超絶可愛いのと、祈りはストーリーが秀逸な上に、子役がすごく良かった。そして阿部寛の「やっぱ超きれいだな」。

0505【洋画】

子どもの頃最も記憶に残っている洋画は、テレビで見た猿の惑星である。最後の場面で見た自由の女神に半端ない衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。まさか未来の地球だったとは!

当分の間マイフェバナンバーワン映画だった。

当時は洋画に触れるのは、水野晴郎さんの映画って本当にいいものですねの水曜ロードショー淀川長治さんのサヨナラ×3の日曜洋画劇場、月曜ロードショー、ゴールデン洋画劇場などのテレビで見るだけだった。

わざわざ映画館に見に行くことはほとんどなかったが、唯一E.T.は映画館で見た記憶がある。

就職した頃からレンタルビデオが世に出てきて、ハマった頃は毎週のようにレンタルしたものだった。この頃バックトゥザフューチャー3部作が猿の惑星に代わり置き換わった。それに準じてブルース・ウィルスのダイハードや一時期ビバリーヒルズ・コップからエディ・マーフィーにハマり、中でも大逆転が一番好きだった。トム・ハンクスも好きでよく見たが、メグ・ライアンとのめぐり逢えたら、ユー・ガット・メール、めぐり逢えたらは未だに洋画マイフェバナンバーワンの作品である。

最近では、アン・ハサウェイプラダを着た悪魔が好きで、その後ロバート・デニーロと共演したマイ・インターンも見たが、すごく良かった。

 

0504【ドラマ】

もの心ついて初めて自分からドラマを見た記憶にあるのは、岡崎友紀のおくさまは18歳。石立鉄男が旦那さん役。その後天地真理浅田美代子が出てたので、時間ですよも見ていた。その流れで寺内貫太郎一家ムー一族樹木希林の「ジュリー!」が懐かしい。

それ以外は成人するまでは自分から見ていた記憶はなく、たぶんTBS系の肝っ玉母さん・ありがとうとか京塚昌子水前寺清子らのドラマを母親の横で一緒に見ていたのがかすかに記憶に残っている。一方親父が見てたのはザ・ガードマンやキイハンター、ギリギリ太陽にほえろもそうかなあ。

上で書いたが大学時代は中村雅俊俺たちの旅岡田奈々が可愛かった。あとは水谷豊の熱中時代や西田敏行の池中玄太80キロ。3年B組金八先生北の国から金八先生は第2シリーズの腐ったミカンの方程式が最も記憶に残っており、北の国からは「こどもがまだ食ってる途中でしょうがあ!」

また、前略おふくろ様に、ふぞろいの林檎たち

就職してすぐ、20代の頃で記憶に残っているのは、明石家さんまの男女七人夏・秋物語。アクアラインができる前の川崎~木更津間のフェリーが舞台で、横浜に住んでいた私には懐かしかった。

フジテレビを中心としたいわゆるトレンディドラマも好きで、W浅野や三上博史中山美穂織田裕二鈴木保奈美江口洋介、安田成美に柳葉敏郎…上げたらキリがない。

作品ごとにコメントするとキリがないが、二つ選ぶとするとやはり東京ラブストーリー愛という名のもとに。「カンチ」「ずっちーなあ」の前者と、後者はチョロの首つりシーンが衝撃的だった。

その後は月9、木10のフジとドラマのTBSをよく見ていた。月9で外せないのはやはりキムタク。ロンバケ、ラブジェネ、HERO、プライド。後はひとつ屋根の下ややまとなでしこ。木10はAge35~恋しくて、太陽は沈まない美女か野獣など。

TBSではホームワークや高校教師、魔女の条件、キムタクのビューティフルライフにGOOD LUCK。

2000年代では救命病棟24時やコードブルーの医療もの、草彅剛の僕の生きる道3部作、沢尻エリカ1リットルの涙タイヨウのうた、再放送で好きになったのはドラゴン桜結婚できない男流星の絆。あと、風のガーデン

2010年代ではなんといってもMotherに、大切なことはすべて君が教えてくれた、それでも、生きてゆく最後から二番目の恋最高の離婚、泣くなはらちゃん、空飛ぶ広報室、花咲舞が黙っていない、Nのために、下町ロケット、世界一難しい恋、ボク、運命の人です。、逃げるは恥だが役に立つ校閲ガール、パーフェクトワールド、グランメゾン東京などなど。

 

Motherを見てから脚本家坂元裕二を知り、それまでにも東京ラブストーリー二十歳の約束もそうだったということを知った。

テレビドラマ『東京ラブストーリー』、『二十歳の約束』、『ラストクリスマス』、『Mother』、『それでも、生きてゆく』、『最高の離婚』、『Woman』、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』、『カルテット』

映画『世界の中心で、愛をさけぶ

0503【歌番組】

本文の高校時代、スター誕生のところでも書いたが、アイドル好きで歌番組もよく見ていた。

最も古くは自分から見ていた訳ではないが、ザ・ヒットパレードが記憶にある。また、「一週間のご無沙汰です」が決まり文句の玉置宏のロッテ歌のアルバム。

その後は夜のヒットスタジオが長く続いており、高校生の頃はベスト30歌謡曲というのがあった。まだベストテン番組には出られない、そんなに売れていない新人アイドルも20位代ぐらいで紹介されるので、良かった。

その後はTBS系列のザ・ベストテンと日テレ系のトップテン、NHKのステージ101からのレッツゴーヤング

ベストテンとトップテンでは、今では考えられない場所からの中継がたくさんあり、またバブル崩壊前だったので、海外からの中継もふんだんにあった。レッツゴーヤングでは、松田聖子がアシスタントのサンデーズを務めていたこともあり、毎週見ていた。

マイナーなところではテレビ東京(東京12チャンネル)のヤンヤン歌うスタジオがあり、メジャーになる前の新人がよく出ていた。

年末特番では、TBS系列の日本レコード大賞と、それ以外の民放系の日本歌謡大賞、日本有線大賞というのもあった。もちろん紅白歌合戦は家族で毎年見ていたし、正月にはフジ系列のかくし芸大会も楽しみだった。当時はレコード大賞も大みそかに放送され、8時5X分までインタービューを受けていたので、大賞受賞者は9時からの紅白のオープニングにギリギリ間に合わなかったかも。

0310 受験勉強あれこれ (←高校時代に追加)

受験勉強を始めたのは、サッカー部を引退した3年の6月からで、夏季講習を含め予備校には全く通わなかった。

今はラジオNIKKEIという名前になっているようだが、短波放送のラジオ講座はテキストを買ってやっていた。深夜に放送があったため、聴きながら寝ているということがよくあり、目が覚めるとテキストにシャーペンのあとがついてるというのが一度や二度ではなく、自分ひとりで苦笑いということがよくあった(笑)。

3年の夏休みには最初の1週間くらい高校が補習をやってくれていて、もちろん強制ではないが参加した覚えがある。

どんな参考書を使っていたかはあまり覚えていないが、当時からすでに赤本(大学ごとに過去の試験問題を掲載したもの)はあり、英単語、熟語を覚える「しけ単」、「しけ熟」もあったが、当時は別の出版社から「出る単」、「出る熟」というのがあった。今検索するとでる単しけ単と同じで地方により呼び方が違うと出てくるが、私の記憶が確かならば、別の本があった。また、私は使っていないが我々世代より前は赤尾の豆単というのが超ベストセラーだったようだ。この赤尾さんというのは旺文社の創設者のようだ。

あと、なくようぐいすやいいくにつくろうは参考書を見るまでもなく有名であるが、年号を語呂合わせで覚える参考書が世界史・日本史ともあり、私は買ってはいないがもっとも記憶にあるのは

いくいく人はベルサイユ → 1919年ベルサイユ条約

なんと最近はいいくにつくろうではなくいいはこつくろうに変わっていたとは!

語呂合わせはただ覚えるだけなら絶対で、長い英単語はいくつか覚えたが、今でも記憶に残っているものもある。

パン食っちゃ歩く、時間厳守の punctual

あと燃す火はないか、キャンプファイヤーの雰囲気は大切だ atmosphere

下の方はちと長いが(笑)。

三つ子の魂百までではないが、子どもの頃覚えた記憶は今もしっかり覚えていることが多く、受験で覚えたことで今でもよく覚えているのは、

古文の打消しの活用形…ずとざりを別々に覚えず、一緒に覚えるのがかっこよくて、

ず・ざら・ず・ざり・ず・(とん)・ぬ・ざる・ね・ざれ・(とん)・ざれ

※活用形がないところは「とん」と覚える

また、漢文の慣用句「いずくんぞ………や」

王侯将相いずくんぞ種あらんや(王や諸侯、 将軍や宰相となるのに、決まった種(家柄)なんかありはしないのだ) などをよく覚えている。

あと、これは全部は覚えられなかったが、歴代総理大臣の覚え方ってのもあった。

いくやまいまい、おやいかさかさ…

覚えているのはここまでだ。

い・・・伊藤博文(いとうひろぶみ)
く・・・黒田清隆(くろだきよたか)
や・・・山縣有朋(やまがたありとも)
ま・・・松方正義(まつかたまさよし)
い・・・伊藤博文(いとうひろぶみ)
ま・・・松方正義(まつかたまさよし)
い・・・伊藤博文(いとうひろぶみ)
お・・・大隈重信(おおくましげのぶ)
や・・・山縣有朋(やまがたありとも)
い・・・伊藤博文(いとうひろぶみ)
か・・・桂太郎(かつらたろう)
さ・・・西園寺公望(さいおんじきんもち)
か・・・桂太郎(かつらたろう)
さ・・・西園寺公望(さいおんじきんもち)

歴代天皇も全部覚えている人もいるが、大したもんだと思う。

 

少し前までは朝バスや電車の中で赤い下敷きで教科書を隠して覚える高校生がいたが、最近は受験勉強もスマホのアプリでやっているみたいで、時代は変わったものだ。

0502【クイズ番組】

クイズ番組も好きで、最も古くはベルトクイズQ&Qやクイズグランプリはらたいらに3000点の、巨泉のクイズダービー大橋巨泉の番組といえば、世界まるごとハウマッチ、
あとは愛川欽也のなるほどザ・ワールド、ニューヨークへ行きたいかのアメリカ横断ウルトラクイズ久米宏ぴったしカンカン、クイズヒンドでピント、
関口宏クイズ100人に聞きました(あるあるある)、田宮二郎クイズタイムショック、超ウルトライントロのクイズ・ドレミファドン、マジカルバナナのマジカル頭脳パワー、たけし・高島彩平成教育委員会
アップダウンクイズクイズ年の差なんて、アタック25、
NHKでは連想ゲームやクイズ面白ゼミナール
新しいところではクイズミリオネアにネプリーグ

こうしてみると、すごくたくさんの番組があったものだ。

0501【お笑い・バラエティ】

欽ドン欽どこのことは上でも書いたが、その前は断然ドリフターズ。「8時だよ、全員集合」は毎週楽しみにして見ていた。後半はひょうきん族が同じ時間帯にぶつけてきて、世間ではドリフ派とひょうきん族派に分かれていたものだが、私は根っからのドリフ派だった。

あとはとんねるずの番組もよく見ていた。特に一世を風靡した「ねるとん紅鯨団」は欠かさず見ており、「貴さ~んチェック」、「ちょっと待ったコール」、「大っ、どん・でん・返し!」。好きだった。

とんねるずのみなさんのおかげです・でした」も好きで、特になんといっても「食わず嫌い王決定戦」。自分だったら何の料理を選ぶかなあと考えたりもしたっけ。

明石家さんまも好きで、彼のMCの番組は大抵は見ていた。古くは「ヤングOH!OH!」に始まり、いいともの金曜レギュラー、さんまのまんま、からくりテレビなどもあったが、ミーハーの私は「恋のから騒ぎ」が一番のお気に入り。小林姉妹がダントツだが、毎年お気に入りの娘がいて軽快なトークになごませてもらった。最近の踊るさんま御殿もそうだが、さんまの人を何かに例える話術はもう天才としか言いようがない。正月特番のさんまの夢叶えたろかとか、最近では東大方程式なんかも好きだった。

ビートたけし関連では、天才たけしの元気が出るテレビ風雲たけし城が双璧。前者ではボクシングをはじめとする予備校、失恋傷心バスツアー、幸福の黄色いハンカチ、勇気を出して初めての告白などなど。キュラクターとしては入れ歯がはずれるエンペラー吉田とか。一方のたけし城はどんな難関があったかはあまり覚えていないが、とにかくバブル時代のお金のかかった大仕掛けで、その番組フォーマットは世界何か国にも輸出されたということだった。

関西キー局では素人参加型の恋愛バラエティがたくさんあり、フィーリングカップルのプロポーズ大作戦、一目会ったその日からのパンチDEデートかぐや姫ラブアタックが、“御三家”として人気を博した。

その他にも、タイトルだけだが、

巨泉・前武ゲバゲバ90分

TVジョッキー

カックラキン大放送

みごろ!たべごろ!笑いごろ!

テレビ探偵団

TVチャンピオンの大食い選手権

料理の鉄人

しあわせ家族計画

ボキャブラ天国

伊東家の食卓

芸能人格付けチェック

ロンドンハーツ

モニタリング

YOUは何しにニッポンへ

しゃべくり007

あげ出したらキリがない。特筆すれば、三宅裕司のテレビ探偵団のなつかCMとか、私の記憶が確かならばの料理の鉄人、若手芸人がネタを競うボキャブラ天国、正月特番の芸能人格付けチェック、成田、関空で外国人にインタビューし密着するYOUは何しにニッポンへ、などなど。