hiroshinji’s diary

生まれて小・中・高・大学生までの思い出を綴ってます

0527【車のナンバープレート】

私は子どもの頃から車のナンバープレートに興味があり、通り過ぎる車のナンバーをよく見ていたものだ。最近では運転しながら対向車や前を行く車のナンバーを必ず見るようになっている。

今現在の最新のナンバーを見つけたり、希望ナンバーはどんなナンバーが多いのか、どんな語呂合わせか考えたり色々な楽しみ方がある。

また、4桁の数字を足したり引いたり掛けたり割ったりして10になるかどうか、これは大学生の頃電車の切符でもやっていた。

あまりご存知ない方のために我が国のナンバープレートの概要を記しておく。

地名の横の分類番号は、車の種類、例えば3は普通乗用車、5が小型乗用車などを表す。

当初1桁だったが、1967年に2桁に、1998年に3桁になったということだ。通常は300、500から番号を振っていくが、希望ナンバーというのがあり、2桁目が3の番号330、530から振られる。希望ナンバーのうち特に人気がある番号は抽選となり、この場合は300、500から振られていく。

抽選ナンバーは見直しが行われ、現在では「1」「7」「333」「777」「1111」「8888」などの15通りが全国共通で、場所によって追加されたりしているようだ。

これらのナンバーは分類番号が足りなくなり、アルファベットを使うケースも見られるようになった。他との混同を避けるため、A、C、F、H、K、L、M、P、X、Yの10文字が導入されているそうだ。

希望ナンバーの中で人気がありよく見かけるのは、「1122(いい夫婦)」「1188(いいパパ)」「2525(にこにこ)」などで、誕生日と思われる番号もよく見かける。たまになんでその番号にしたのかわからないケースもあるが、それは自宅の電話番号かなと個人的には思っている。

一度希望ナンバーで「1183」を見かけたことがあり、まさかこの人は自分から「やーさん」と言っているのかといぶかしく思ったが、恐らく名前が「やすし」とかの「いいやっさん」かなと。

ひらがなは、事業用は「あいうえかきくけこを」、自家用一般は「さすせそたちつてとなにぬねのはひふほまみむめもやゆらりるろ」、自家用貸渡用(レンタカー)は「われ」、駐留軍人軍属私有車両等は「EHKMTYよ」があり、使用してはいけない文字に「おしへゐゑん」があるということだ。

通常の分類番号の最新をチェックしているが、最近は希望ナンバーが増えたのか、進み具合が若干遅くなったように感じる。横浜や名古屋など大都市は番号が進むのが早いようだが、広島は最近やっと503、302に入った。今最新は503が「さ」、302が「た」辺りだと思う(令和6年1月現在)。

0526【家電製品今昔】

日本の家電製品は戦後急速に進化した。物心ついた頃から我が家にあった家電製品は次のようなものだったろう。

白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫、ラジオ、扇風機、こたつ…。

このうちの前3者は三種の神器と呼ばれ、昭和30年代頃から急激に普及した。

小学生のテレビアニメ創成期でも書いたが、当時のテレビはチャンネルがダイヤル式で、古くなるとその部分がスポッと外れたりしたものだ。また、よく画像が砂嵐のようになり、冗談ではなくテレビを叩いたら直ったりした(笑)。

1970年の万博の前後頃カラーテレビの普及が進み、我が家もこの時期だったと思う。パナカラー(ナショナル)、キドカラー(日立)、トリニトロンソニー)、他のメーカーはあまり覚えていないが、テレビCMであふれていた。

洗濯機と言えば、まだ脱水機能はなく、ローラー式のくるくる回して水気をとる装置が付いていた。脱水機が付いた二層式が出てきたのは1970年代、平成になってからか。

今は全自動で一槽式が主流であるが、当時は画期的であった。

冷蔵庫も最初は冷凍庫がなく、冷蔵庫の上部分に氷を作るところがあった。長く使うと周りに霜が付き、たまに霜取りをしなければいけなかった。1970年代に冷蔵室が分かれた2ドアが、1980年代には野菜室やチルド室などが分かれ3ドアとなった。

テレビの出現によりラジオを聴くことは少なくなったが、中高生の頃は深夜放送を聴くことはあった。恐らくニッポン放送オールナイトニッポン文化放送のセイヤングが双璧だろう。また、音楽を録音して聴くことが増えたため、ラジカセやウォークマンが普及した。車の中で聴いたり、ウォークマンで移動中に聴いたりするため、自分だけのお気に入りテープを作るため、ダブルカセットレコーダーが必需品だった。

1990年代頃からビデオデッキが普及し始めた。当初ソニーのベータ方式とビクター外のVHS方式が2方式がしのぎを削っていたが、やがてベータ方式は姿を消しVHSに規格統一された。ビデオデッキの普及に伴い、レンタルビデオ店が繁盛し、私もかなり利用していた。

録音・録画媒体は時代を経て、カセットテープからCD、ビデオテープからDVD~ブルーレイへと姿を変え、レコーダーも変化した。カセットテープ・ビデオテープともアナログなため、頭出しに巻き戻し・早送りをする必要があり、そのため100本に1本くらい運悪くデッキに絡みついたり切れたりという悲しい出来事が起きていたものだ。

私の子どもの頃は、地球温暖化が進む前でまだまだ扇風機だけで涼めていた。いなかの家などは、夜は蚊帳をして縁側の戸開けっ放しで寝ていた。子どもの頃の扇風機の思い出と言えば、回る羽根に向かって「あああああ」と言うのは誰しも一度は経験したことがあるだろう。

扇風機に替わり家庭にエアコン(当初は冷却機能のみでクーラーと呼ばれていた)が普及し始めたのは1970年代頃からだそうだ。日本の高度成長期で、カラーテレビ・クーラー・車(カー)が3Cと呼ばれ急速に普及した。三種の神器から3Cへ。我々世代は身をもって日進月歩を体験することができたのだ。

0525【電話と郵便今昔】

我が家には最初電話はなく、小学校高学年頃やっと電話がついた。低学年の頃の普及率はほぼクラスの半数くらいで、当時は呼び出し電話というシステムがあって、何か急用があるときは、近所又は知り合いの電話のある家に頼んで呼び出し電話番号を登録させてもらっていた。クラスの住所録・連絡一覧表には(呼出)として記入してあった。

当時の一般的な電話は黒電話でダイヤル式、0や9は回るのに時間がかかるため、企業などは若い番号特に「1111」とかが喜ばれ、大企業などは電話番号を買い取ったりしていたようだ。市役所や県庁も代表電話は2111が使われていた(広島の場合)。

調べてみるとダイヤル式からプッシュホンに切り替わったのは、1985年の電話端末機器の自由化以後のようだ。

公衆電話は色により役割・機能が異なり、赤・ピンク・青・黄などがあった。市外に電話を掛けるとき、10円玉をたくさん用意していたものだが、100円に対応した黄色電話が登場してその心配はなくなったが、逆に戻りがない不便さがあった。それらもテレホンカードが出現してから解消された。

世代的に使ったことはないが、携帯電話が登場する前に電話が欲しいときに伝えるためにポケベルが登場し、若者などの間では数字の語呂合わせでメッセージを伝えていた。

携帯電話は1990年代くらいから普及し、2007年以降は現在のスマートフォンに進化した。今では主義として持たない一部の人を除きほとんどの人がスマートフォンを持つ時代になっている。スマートフォンiPhoneとアンドロイドがあるが、世界的にはアンドロイド7対iPhone 3のところ日本では正反対の3対7のシェアになっているそうだ。ちなみに私はアンドロイドで、iPhoneを持ったことは一度もない。

 

一方、日本人の手紙離れは急速に進んでおり、年賀状を出す人の割合も50%を切ったとも言われている。私も年賀状以外に郵便を出すということはほとんどなかった。唯一大学時代は広島を離れていたので、母親や友達と多少やり取りをしたことがあるくらい。日本の郵便番号は昭和43年(1968年)に3桁又は5桁でスタートしたらしい。平成10年(1998年)に7桁に移行し現在に至っている。

郵便関連ですごく記憶に残っている出来事が一つあって、小学生の時の年賀状についてである。親しいクラスメイトと年賀状のやり取りをしていたが、私は白島小学校に通っており、当然住所が白島〇町の人もおり、その一人の年賀状が「あて所に尋ねあたりません」と返ってきた。よく見ると「白島」の「島」の字が「鳥」になっていた。もちろん住所が間違っていたから届かなくて仕方がないのだが、誰が見ても子どもの筆跡で書き間違えたなと察して届けてくれてしかるべきではないか。好意的に解釈すると郵便局の人は子どもに対して「住所を書き間違えると郵便物は届かないよ。注意してね」と伝えるためにあえて返送したと推察されるが、子どもながらにトラウマとなり、一生忘れることのない悲しい出来事になってしまった。その後住所を書くときは普通の人より注意して慎重に書くようになったため、ある意味郵便局の人の思惑はみごとに伝わったわけだが、今でもやはりそのまま配達してくれれば良かったのにと思っている。

「お前の年賀状の住所「白島」が「白鳥」になっとったぞ。アハハ!」

「ほんまにか?よう届いたのぉ、ワハハハハ」

と笑い話のいい思い出になったのに…。

0524【レコード】

最近はサブスクが主流で、CDさえ売れない時代と言われるが、我々世代は好きな音楽を聴くと言えばレコードの時代。
よく初めて買ったレコードは?とか話題になるが、初めて好きになった岡崎友紀主演の奥様は18歳の主題歌だったような…。
シングル(EP)とLPがあり、シングルは全く残ってないが、LPレコードは何枚か残っていた。
先日最近静かなレコードブームになっているという話題になり、手元にあるレコードを改めて棚卸ししてみた。
たくろう以下ニューミュージックがほとんどだが、桜田淳子キャンディーズが1枚ずつあった。
また、変わったところでは、ショパンが1枚。テレビドラマ「少女に何が起ったか」で英雄ポロネーズが好きになり、買ったと記憶する。
あと、就職した頃ハマったフュージョンのレコードは、当時できたレンタルレコード店で借りていた記憶があるが、1枚だけ高中正義を買っていた。


よしだたくろう Live'73
かぐや姫フォーエバ
南こうせつ グレーティストヒッツ
岸田智史 モーニング
井上陽水 9カラット
井上陽水 センチメンタル
小椋佳 渡良瀬逍遥
オフコース We are
アリスMemorial 1976-79
松山千春 起承転結Ⅱ
ふきのとう 水車
ふきのとう 歳時記
サザンオールスターズ nudeman
サザンオールスターズ Kamakura
沢田研二 今、僕は幸せです
荒井由実 Misslim
松任谷由実 14番目の月
ハイファイセット Fashionable lover
竹内まりや LOVE SONGS
尾崎亜美 Mind Drop
尾崎亜美 STOP MOTION
高木麻早LIVE
高木麻早 Silhouette
イルカ 植物誌
高中正義 虹伝説
キャンディーズ キャンディーショップ
桜田淳子 ベストヒッツ
太田裕美 ベスト
サイモン&ガーファンクル Great Hits
ショパン

 

0523【2021年プロ野球】

今年のペナントレースもセパとも前年最下位のヤクルトとオリックスの優勝で終了した。CSと日本シリーズは終わっていないが、カープは4位でCSに進めなかったので、個人的な感想を書いてみる。誰に聞いてもほぼS監督の評判は最悪、今年限りで辞めてくれと願っていたが、来季の続投が決まってしまった。首位打者鈴木誠也をはじめ、坂倉・小園の成長、林の台頭など、チーム打率はセ・リーグトップで、打つ方はそれなりの結果を残したと思う。欲を言えば西川・松山・野間が今一つ、田中広輔と堂林が全くだめだった。

ピッチャーは九里・栗林のくりくりコンビは良かったが、2年目のジンクスではないだろうが、森下が打線の援護に恵まれなかった不運もあり、特に後半戦勝ち星から遠ざかった。大瀬良も10勝と帳尻合わせはしたものの、大事な試合でポカが多かった。九里が初の二けたで同率ながらの最多勝のタイトルは評価できるが、まだまだ絶対的エースとは言い難い。新人でいきなり守護神に抜擢された栗林は大したもの、今年は新人王争いのレベルが高いが、是非とも取って欲しいものだ。

打つ方では、坂倉の成長は大したもの。キャッチャーとファーストの2足のわらじを余儀なくされての打撃2位は立派である。個人的には小園はあまり評価してなかったが、完全に田中広輔からショートのレギュラーを奪い取り、最後の最後まで3割に届くかと固め打ちしたのは頭が下がる。守備もポカはまだあるが、投手を助けるプレーもかなりあった。

最後に鈴木誠也。来シーズンは恐らくポスティングシステムにより大リーグへ行ってしまう可能性大で寂しい限りではあるが、貢献度はやはりナンバーワン、今後も応援したい。終盤39本の村上と岡本に並ぶチャンスは残されていたにも関わらず先発から外れていたのは正直がっかり。本人はタイトルには全く興味がないと言いながら、首位打者は死守したかったのだろうか。もう1本打って二冠を引っ提げて大リーグ入りして欲しかった。

誠也が抜けて来シーズンは明らかに戦力ダウンとなるのは否めない。前ケンが抜けても優勝・3連覇した再現を期待したいものだが、果たしてどうなることやら。

0522【東京オリンピック2020(2)】

全くの個人の感想であるが、競技種目ごとに思ったこと、感じたことを思い付くままに記述する。

なるべく時系列に書いてみるが、必ずしもそうならないところはご容赦願いたい。

まず初っ端盛り上げてくれたのは、競泳と柔道だった。

200mと400m女子個人メドレー大橋悠依、2種目とも金メダルは女子では初、まさにあっぱれである。ミーハーの私は波瑠に似て可愛いなあと思い、特に応援した。

片や少し前までは金メダル候補ナンバーワンとも言われていた男子は…。

やはりスポーツもメンタルがいかに大事か改めて思い知らされた。

柔道はかつてお家芸と言われながら年々諸外国の追い上げに会いじり貧状態が続いていたが、自国開催の利点があったのか、久々のメダルラッシュだった。特に阿部兄妹の同日金はみごとだった。また、大野の連覇もあっぱれ。

もう一つのお家芸体操はリオからの連覇を逃し残念。また、今大会鉄棒のみに絞った内村航平が落下しての決勝に残れずは一つの時代が終わった感が。ただ、若い橋本大輝が内村に代わって個人総合で金メダルを獲得し、今後体操ニッポンを背負っていくだろうと大いに期待できる。

次に盛り上げてくれたのは卓球。特に伊藤美誠の金銀銅はあっぱれ。ただ混合ダブルス以外はまだまだ中国との力の差はまだかなりあると実感した。個人的には石川佳純にシングルスでメダルを取らせてあげたかった。

上野由岐子らソフトジャパンが北京五輪決勝で戦った米国との頂上決戦を制して、13年越しの連覇を果たしたのも特筆ものである。

野球も一度も負けることなく全勝で決勝に進み、アメリカに2-0で快勝、正式種目となって初めて金メダルを獲得した。ペナントレースでは不調だった広島カープから、鈴木誠也、菊池、森下、栗林とそれぞれ持ち味を生かし活躍したことはうれしい限り。特に栗林は5試合ともクローザーとして2勝3セーブの大車輪の活躍、延長タイブレークでも得点を許さないのは圧巻であった。

一方サッカーは、メキシコ大会以来のメダルが期待され、ビッグマウスではない久保も金メダルを公言したが、準決勝でスペインに延長戦の末惜しくも敗れ、三位決定戦で予選リーグでは勝ったメキシコに敗れメダルには届かなかった。

これらのほか、新種目のスケートボードや空手、サーフィン、スポーツクライミング、女子ボクシングなどでも若手を中心に躍進し、地元開催の利があるにしても金27、銀14、銅17の計58のメダルはぶっちぎりで過去最多となった。

唯一最も期待された種目の一つ、バドミントンが一部ケガもあったが、混合ダブルスの銅1個のみという惨憺たる結果に終わったことは期待外れで本当に残念で、もっとメンタルを鍛えなければと感じさせられた。

逆にほとんどノーマークだった女子バスケットが3ポイントを連発し決勝に進出、ユニークな言動のトム・ホーバス監督ともども有名になり、五輪後もバラエティー番組に引っ張りだこになった。男子の監督になるということで、今度は男子の飛躍も期待している。

以上全くの私見なので、反論がある方もいらっしゃるだろうがご容赦いただきたい。

0521【東京オリンピック2020(1)】


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「TOKYO!!」

今は亡きジャック・ロゲIOC会長の発表以来、待ちに待ったはずの東京オリンピックパラリンピック2020は、未だかつてない新型コロナウイルスの影響で、ほぼ2年間開催か中止かで揺れ動き、結局1年遅れて2021年に開催された。

世間的にはとても開催できる状況ではないと思われていたが、とにかく開催ありきで一気に突っ走った感があるのは否めない。

観覧人員も当初1万人とか5千人とかの案も出ていたが、コロナの状況がみるみる悪化していき、最終的には宮城県のサッカーなどごく一部の競技以外は全て無観客で実施された。

スポーツは見るのもするのも好きな方で、4年に一度のオリンピックとなると、割とよく見る方だと思う。ほぼ50年に一度の自国開催を見れるチャンスは恐らくもう最後だと思うので、こういう形での開催になってしまったことは本当に残念だ。まあチケットをとるまではのめり込んでいなかったが、苦労してチケットを手に入れたのに水の泡になってしまった人たちの落胆ぶりは察するに余りある。

開催するまでは、本当に開催して大丈夫なのかとどちらかというと開催に否定的だったマスコミも、いざ蓋を開けると軒並み連日日本メダルラッシュという応援モード一色の報道になったのはいかがなものかと思う。

ORICON NEWS が東京五輪について10代~60代男女を対象に調査を実施したところによると、開催前【賛成だった】が29.8%だったのに対し、【開催して良かった】は全体の44.3%という結果に。全体の4割強が、全日程を終えた五輪に対して、好印象を持っていることが分かったということだ。

私は競技自体は見るが、開・閉会式はあまり興味がない。一応録画はするがほとんど飛ばしながら入場行進の一部と聖火リレーのところくらいしか見なかった。ゲームのBGMや国名のプラカードの吹き出しとかは日本らしくて良かったと思う。

競技については、サッカー、野球ほか好きなスポーツはリアルタイムでも観戦し、その他の競技は、デイリーハイライトなどを欠かさず見て結果をチェックしていた。最近はより効率的に見るため、録画をしながら、追っかけ再生で見ることが多かった。